時に危険も伴う職務において、使命感とヒーロー/ヒロイン像を打ち出した東京消防庁の採用戦略

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火災や自然災害から都民を守る、救急現場に駆けつけ一命を救う——東京都民の生活の安全と安心を支えている東京消防庁。その職員数は条例で定められており、毎年、一定の人数を必ず確保しなければならない。
採用戦略の一端を担う採用サイトでは、「公益への貢献」という意識を訴求し、業務にまつわる写真を使ったコンテンツからは「ヒーロー/ヒロイン像」も感じることができる。動機が明確な応募者が多く、そもそものマッチング度も高いとはいうが、さらに、仕事に対する使命感や将来像への共感を持ってもらうことを大切にしている。
行政機関としての役割や使命を踏まえ展開するオウンドメディアリクルーティングの意識、目的、効果などについて、東京消防庁 人事部人事課 採用係長の猪狩英清氏に聞いた。

危険を伴う仕事ゆえ、本人と家族へ向けネット&紙媒体で情報を発信
——知名度を鑑みると、採用サイトへアクセスしてくる求職者の多くは、「消防の仕事がしたい」という意志を持つ方々ではないかと推察します。そのような背景のもと、オウンドメディアリクルーティングにおいて、どのようなことを意識していますか。
猪狩 採用サイトに限らず「都民1400万人の生命、身体及び財産を災害から守る」という東京消防庁の使命をみなさんにわかっていただくような構成で発信することを心がけています。
新規入庁者のアンケートを見ても、体力が必要な業務というイメージからも、採用サイトにアクセスしてくる時点ですでに「入庁したい」という意志を持っている方が多い傾向はあります。一方で、都庁や区・市役所といった行政職を目指していて「消防にも興味がある」という方もいらっしゃるので、そういった潜在層を今まで以上に取り込んでいけるのかという課題もあります。
——街でポスターなどを見かけることもありますね。採用サイトのほかに、求職者とどのような接点を持っていますか。
猪狩 従来からのパンフレットやポスターといった紙媒体に加えて、動画などの電子媒体の活用にも力を入れています。パンフレットは、採用サイトからPDFとしてダウンロードできるようになっています。パンフレットなどの部数は減少傾向にありますが、今は紙媒体と採用サイトを並行して運用しています。
パンフレットは都内に81箇所ある消防署に常備しているほか、全国の大学、短大、専門学校、高校などにお願いして置いていただいています。ポスターは消防署や消防出張所の掲示板を中心に、協力いただける駅などにも掲示しています。
——民間企業の採用活動は、インターネットを用いて行う方向へと進んでいますが、紙媒体を従来同様に維持しているのはなぜでしょうか。
猪狩 採用試験に臨む方々のご家族にも、私たちの仕事についてご理解いただくことを、ご本人の意思同様に大切にしているからです。
私たちが2021年度に消防職として募集している約650名のうち、消防官は640名で一般職員が10名程度です。採用試験は、大学卒業程度、短大・専門学校卒業程度、高校卒業程度の3区分があります。そして、約半数が関東以外の出身者である職員構成の現状を鑑みると、沖縄から北海道まで多くの方が受験されていることになります。
また、公務員で安定した仕事という側面はありますが、危険を伴う災害現場に出場する仕事です。消防事務を担う一般職員を除き、入庁後は必ず現場を経験します。私のような人事部に所属する内勤の職員であっても大規模災害が発生した際には出場しますし、そのようなマンパワーを有していることが当庁の強みなのです。
そういった情報を応募者だけでなく、ご家族にも理解していただく必要があると考え、ご家族でご覧になりながら、お話合いができるツールとして活用していただくためにもネットと紙媒体を併用しています。
採用サイトを強化し、若年層や東京以外の地域在住者にアピール

——インターネットと紙媒体を両立されているとのことですが、採用サイトも作り込まれており充実した内容です。インターネットでのオウンドメディアリクルーティングに注力し始めたのはいつごろからですか。
猪狩 採用サイトの強化を始めたのは2009年からです。その頃は当庁において団塊世代が定年退職を迎え始める時期でもあり、職員定数の維持の観点から、若い層にアピールしたい思いがありました。また、職員の約半数が関東以外の出身者という実績を踏まえ、幅広く情報をお伝えし、全国より多くの方々からご応募いただきたいということもあり、ネットを活用し採用活動を強化してきました。
サイトの制作に当たっては、初めに情報発信の根幹となるコンセプトを決めています。コンセプトは毎年見直し、決定してから職員紹介といったコンテンツ構成を検討・作成していきます。2019年と2020年のコンセプトは「CHALLENGERS(チャレンジャーズ)」。2021年は、さらに自分自身の可能性を信じて限界を定めずに挑戦していこうという意味で「UNLIMITED(アンリミテッド)」をテーマにしました。
コンテンツは、継続的に使える内容のものは残しながら、毎年、3月更新を目処にデザインから新しく作り変えています。特に、職員のインタビューをベースにしたキャリアステップと各業務に紐づけた職員紹介は、幅広い職務内容を理解していただく機会となることから、より多くの職員を掲載するために毎年更新しています。
——毎年更新されているのは驚きです。本格的にスタートした2009年から現在までに大きな変化はありますか。
猪狩 都民の安全・安心に関わる仕事ということが私たちの誇りですので、そこに結びつくようなアプローチは変えずに、新しくできた部隊など組織の変化について取り上げています。大きな変化としては「活躍する女性消防官」のコンテンツを加えたことです。
女性が活躍する職場というイメージはあまり浸透していないようですが、2006年からは採用試験における女性枠を撤廃し、男女が平等に働ける職場として改革を進め、女性消防官の職域拡大によって、女性もポンプ隊として消火活動を直接行えるようになりました。そうした変化により、採用広報の手法も徐々に変わってきています。
——採用サイトの制作・運用など、採用活動はどのような体制で行っているのですか。
猪狩 担当は人事課採用係になります。人事課は、採用試験の応募に至るまでの採用活動に携わる職員3名と、採用試験の問題作成・試験運営に携わる職員5名の2ラインに分かれています。採用サイトやパンフレット制作については、前者の3名が中心となって制作に携わっています。
応募者が自身の将来像を描けるよう、インタビューによる職員紹介を重視

——求職者は、意思と知識を持ってサイトへアクセスしてくることが多いと伺いましたが、どのような情報発信を実施していますか。
猪狩 私たちの仕事は何の根拠に基づき誰のために存在しているのか、その点を踏まえ「公益への貢献」「仕事への使命感」に共感していただく必要があります。そのため、採用サイトにおいては、インタビューから構成される各業務の職員紹介に一番力を入れています。
職員それぞれが持つ使命感や仕事に取組む姿勢を生の声で語り、それを知っていただくことで応募者の皆さんがご自身を重ね合わせて、「自分もこういうふうになれる、なりたい」と将来像を描いていただけるとうれしいですね。
また、将来の自分の働く姿がイメージできないと、一生涯続けていく仕事として選ぶのは難しいのではないでしょうか。
私たちは入庁後、消防学校に入校して初任教育を受けます。初任基礎教育課程として、消防学校で消防官としての基礎を身につけます。その後は、初任実務教育課程として各消防署へ配属になり、ポンプ隊員からスタートします。実際に火災現場へ向かい、上司や先輩方の指導を受けながら一人前の消防士になっていくわけです。初任基礎教育課程半年、初任実務教育課程半年、計1年を修了し、その後は、ポンプ隊に所属することを基本としながら各種業務の実務経験を重ね、希望する業務の技術認定試験を目指します。
消防署への配属後の期間を有意義な時間とするためにも、入庁前からご自身の働く将来像を描けるような情報発信を大切にしています。また、応募者の皆さんに分かりやすく親近感を持っていただきやすいよう、30代までの若い職員にインタビューしています。
——採用サイトに掲載されている職員のみなさんの写真はとてもかっこいいですね。「使命感」とともに「ヒーロー/ヒロイン像」を感じることができます。意識して表現しているのですか。
猪狩 人の命を救う使命感はもちろんですが、ヒーロー/ヒロイン像も意識しています。「なりたい」と思えるような仕事であることをきちんと表現しつつ、入庁後にミスマッチが生じないよう、現実の厳しさもありのまま伝えていけるように心がけています。
——ヒーロー/ヒロイン像については、職員の皆さんにはどのように受け止められているのでしょうか。オウンドメディアによる情報発信の影響は庁内にもありますか。
猪狩 おおむね職員には好評なようです。特に、職員紹介のインタビューを受けることは、これまでの努力や実績が評価されて選ばれたということです。これから入庁を目指す方の見本となる職員であり、同時に名誉なことでもあります。指名された職員は、通常の業務に加えインタビューを受けることになりますが、快く承諾してくれます。
また、「自分がどんな仕事をしているか多くの方に知ってもらいたい」という職員が多く、来年は自分もインタビューされたいという声を聞くこともありますね。私たちも、応募者の方だけでなく職員のモチベーション向上のためにも、こういったインタビューの機会を活用して、使命感を持って一生懸命仕事に取り組む職員をアピールしていきたいと思っています。
特定の分野に偏らないよう幅広く情報発信し、優秀な人材を集める

——職員紹介のほか、交替制勤務といった業務内容をはじめ、キャリアステップ、災害状況のことなども詳しく伝えていますね。情報発信の効果はありますか。
猪狩 定量的な効果を申し上げるのはなかなか難しいところではあります。ただ、団塊世代の大量退職が10年間続きましたが職員定数を確保してきた結果を鑑みると、一定の効果につながっているのではないでしょうか。
消防の仕事は体力も必要ですし、災害現場では危険も伴います。民間企業と比べると異なる部分も多くあります。ある程度、職務内容を理解して応募いただかないと、「こんなはずじゃなかった」とミスマッチが起きてしまう可能性が高いと考えています。そのため、採用サイトやパンフレットはもちろん、いろいろと職務内容を調べて予備知識を得てから採用試験に来られる方が多いですね。
また、試験は特定の分野に詳しい人を積極的に採用するものではなく、筆記試験・体力試験・面接試験があり、総合点の上位から合格を出しています。ですから、なるべく多くの方に情報が偏らないよう発信して、幅広く、多様な方々に応募していただくことにつなげたいと考えています。ただ、消防官640名の採用者予定者のうち10名は、「専門系」という区分で、法律、建築、電気、電子・通信、化学、物理、土木、機械を大学で専攻し、専門知識を有している方を募集しています。
私たちが発信している情報も、消防の仕事を理解していただくツールとしての位置付けです。毎年、合格者に採用サイトやパンフレットのどういった内容が参考になったか、もっと知りたいと思う項目は何かといったアンケートを取り、その意見を参考に次の年のコンテンツのブラッシュアップを行っています。
——2020年は新型コロナウイルス感染症の影響があったかと思いますが、採用活動に変化はありましたか。
猪狩 従来、東京・大阪・福岡の3会場において東京消防庁主催の説明会を開催していましたが、2020年はすべて中止となり、試行錯誤の1年間でした。2021年につきましては、大学などで説明をする機会を再開しつつ、ターミナル駅などのデジタルサイネージを活用した広報やWebセミナーなどを充実させて、採用広報を推進していきます。
——最後にオウンドメディアリクルーティングの展望についてお聞かせください。
猪狩 これまでWebセミナーは、大学などが主催するものに私たちが出向いて、そこでお話しした内容を配信していただくという方法と、東京消防庁主催で年3回、申込み制で100名程度の小規模な説明会を開催してきました。現在は、こうした過去のセミナーを採用サイトにバックナンバー「令和3年 東京消防庁 WEB業務説明会」として掲示し、誰でも閲覧できるようにしています。
今後は、より効率的に多くの方々に情報を届けられるように、オンラインを活用した相談会なども行っていく予定です。さらに、新型コロナウイルス感染症の影響もあって、デジタルコンテンツの充実を目標として掲げ、デジタル化を加速させていく時期だと考えています。
まだまだやるべきことはたくさんあります。今までの採用広報に磨きをかけ、民間企業のスピード感を意識しつつ、人材の確保に乗り遅れないように競争力を高めていきたいですね。